こんにちは。教室長の大野です。
今日は「出初式」、「成人式」ですね。教室からは、出初式を「特等席」で見ることができます。朝9:30から始まる富大附属中受験クラスの生徒たちも、窓から消防隊員のみなさんの行進や、消防車のパレードを見て、喜んでいました。受験まであと3週間を切りましたが、ある意味、いい息抜きになったのかもしれません。
さて、このような「式典」ですが、何のためにあるのでしょうか?このような「式典」を「形だけ」と批判する意見もあると思いますが、私は、「形」にも意味があると思っています。陳瞬臣さんの「小説」十八史略」を中学生のころから高校卒業まで何度も読み返しましたが、秦の始皇帝の話の中にこんな場面があったことを覚えています。
ある家臣に始皇帝が、「これは役に立つのか?」と聞くと、その家臣は、「なくても困りませんが、まあ、飾りにはなります。」と答えます。始皇帝は徹底的な合理主義者として描かれており、「困らないなら廃止せよ」と言うかと思ったら、始皇帝は「飾りには飾りとしての意味がある。」と答えていたのです。
「ああ、そういう考え方もあるのだな」と感心した記憶があります。
では、「式典」の「形」としての「意味」は何なのでしょうか?
私は「区切り」だと思っています。
コンサートや映画なら「照明」と「ブザー」、学校の授業なら「チャイム」のように、ある時間とある時間を区切り、気持ちを切り替える効果があるものだと思っています。
能開も「朝礼」を大切にしています。授業が始まる前に、気持ちを切り替えていく「形」ですね。ソフトバンクの孫正義社長も「朝礼」を大切にしているそうです。
さて、1年の始まりです。気持ちを切り替えてがんばります。